今、パチ屋の休憩所の椅子に座って、iPhoneでこれを書いている。時刻は午前10時22分。
ということは、抽選はまぁそこまで死ぬほど悪くなかったものの、それなりの台が取れなかったということであり、潰しのきく他の店も無く、美ら沖もガルパンもグレンラガンも設置が無く、エナで徘徊する気力も、新規の店を開拓するやる気も無いということである。
さて、どうしたものかと。
今日はちゃんと朝7時に起きたのでクソ眠いわけだが、このままお家に帰ってお寝んねするのはマズい。無理くり戻した生活リズムが再び昼夜逆転生活に戻ってしまう恐れがある。適当に沖縄フェスティバルを打つのはもっとマズい。ハイビスカスにタッチする前に貯メダルが尽きてしまう恐れがある。
であるならば、朝一の稼働の波が落ち着くか、お腹が空くまでに適当になんか書くかとメモ帳を立ち上げた次第である。
なにを書こうか。
朝一からパチ屋の椅子でスマホをいじっているオッサンなんて、ダメ人間界のトップランナーなわけで、目の前で設定2のマイジャグラーをぶん回している専業の若い兄ちゃんが将来こうならないように、覚え書きでも書いておこうか。そうしよう。
感情的にならないこと
まず、パチスロで感情的になるのは良くない。おは天食らおうが、朝一でゴッドを引こうが平常心が重要である。感情は判断を鈍らせる。ポジティブなのは良いことだが、ポジティブ過ぎるのは良くない。真ん中が一番。真中の守備位置はセンター。
ポジティブ過ぎると何かと理由をつけて打ちたがる。自分が打っている台が正解だと思いたがり、間違いだと思いたがらない。設定2をひたすらぶん回してクソ負けているだけなのに、高設定で下ブレしていると勘違いする。
ホールにある台の90%以上が設定1か2なのに、それに目を瞑り、判別ツールの設定4以上が70%という数字を信用する。
その最たる例が、番長3で朝一チャンスチェリーを引いただけで、設定6と言い張ったり、ジャグラーで30ゲーム毎にブドウ確率を計算することなのだが、荒れそうなので深堀りはしない。
人と比べないこと
次に、パチスロにおいては、人と比べてへこんだり、逆に天狗になるのはよくない。上手い人と比べて自分は全然ダメだと落ち込んだり、負けている人と比べて俺は凄いと思っているのなら、それは勘違いである。他人ができることは自分でもできるし、自分にできることは誰にでも出来る。本当に上手い人間なんてひと握りであって、あとは皆、どんぐりの背比べみたいなもの。
所詮、1番取れてもピンなら精々年間1,000万が関の山。不可能に近いが、仮に119%が毎日打てたとしても年間4,000万。それが頂点。魑魅魍魎の世界からすると有象無象よ。決して夢のある世界ではない。
世界は広いということ
パチスロの世界は狭くて夢がないが、本当の世界は広く、人間は小さく、夢は大きい。ドリームジャンボ。2000台設置のパチンコ店を地球とするならば、一人の人間などパチンコの玉、11ミリくらいのもの。それが0.1円なのか1円なのか4円なのか、あるいは真鍮なのか銅なのかは知らんが。
いつになるのか知る由もないが、コロナが終息したら旅に行くと良い。
渋谷でなくてニューカレドニアに行き、笹塚でなくてプラハに行くのだ。専業の唯一にして最大の利点は、自分の好きに時間が使えるということなのに、パチスロばっかり打っていても、時間が勿体ないだろう。
日本でお金がなくて餓死することは、育児放棄等、特殊なケースを除きまずないが、その辺の道路の道端で、腹を空かせたガキが、今にも死にそうな面でこちらを見てくる国は今なおある。病気だろうが事故だろうが事件だろうが天災だろうが人は死ぬのだが、日本人の命は相対的に見て重い。腹ペコで死なないというのはデカい。
別にパチスロで負けたところで死ぬわけでもない。日本では金がなかろうが飯は食えるし、選り好みしなければ仕事はある。旅に出て、命の軽さと金の重さを知るのもまた教訓よ。
腹ペコで死にかけのガキは夢を持てないが、パチスロばっかり打っているオッサンは何でもできる。若ければなおのこと良いが、年を食っていても別に遅すぎるということは無い。日本に生まれ、好き勝手にパチスロを打てている時点で、もう既に土台には乗っている。
なんの話だこれ。まぁいいか。
打とうと思っていた台が空いたので
さて、時刻は午前10時55分。なんか知らんが、打とうと思っていたサラ番2が空いたので今から打つ、というか、むしろもう既に打っているので、そろそろ締める。
一応、ひと通り書いた文章を読み返してみたのだが、自分でも何を書いているのかよく分からん。まぁこれを読んで心がければ、30過ぎてもパチスロばっかり打ってるダメな大人になれるよ。
あれ、ダメな大人にならない為の覚え書きだったはずだが、まぁいいや。俺は詐欺師だからな。タイトル詐欺などお茶の子さいさいなのである。
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