本当にあったパチプロのはなし

ちょっと変わった経験談や、ギャンブルとの向き合い方について書いています。

私と凱旋の5年間戦争 ネオ東京崩壊、そして旅打ち編

凱旋との初戦、+6000枚という大勝で飾ったわけであるが、その後の凱旋との戦績はどうだったのか。

 

 前回のつづきです…

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ネオ東京編

当時の収支記録は残っておらず、iPhoneのカメラロールと朧げな記憶だけが頼りなのだが、最初はゼウスシバきまくりの勝ちまくりだったように思う。

 

少なくとも、初戦の翌日、4月17日から5月10日頃までの1ヶ月弱の間で万枚を3回はやっている。たしかいずれも設定狙いであって、全て一撃万枚ではなく、平均十二撃ぐらいだった気がするのだが、さすがに詳しくは覚えていない。

 

万枚×3回って言っても別に大したことないような気がするけれど、かける20円したら60万円だからね。大したもんだ。

 

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レシートの写真が残っていたのは2枚。いずれも東京のお店。非等価の場合、レシートで出してもらうことは滅多にないと思うんだけど、当時の東京は等価だったので、普段あまり行かないお店の時は、大体その日に交換してもらっていたような。レシートの写真が残っているということは、たぶんそういうことなんでしょう。

 

この当時の都内の凱旋の設定状況は良かったように思う。これはどっかのトナカイさんも言っていたのだが、凱旋って意外と設定が分かりやすいのよ。GGが伸びればそれに比例して通常時のゲーム数が減っていくわけで、初当たり確率や青7三連からのG-STOPなど、重要な数字のサンプルが取れなくなるので、そういった意味では難しいんだけども。

 

ちなみに、少し前に話題になったリセットでも天井1,000ゲームを越える件。この当時に一度だけ経験していて、それは基盤の電池切れとかバグとかではなく、設定4~6特有の設定示唆に起因するものだったと思うんだけど、少なくとも私はその一回しか経験がありません。その時は推定設定6だったのかは忘れたけど、1,200ゲームぐらいで当たって、その後は普通に出て普通に勝ったような気がするんだけど、残念ながら詳細は覚えておりません。

 

そんなこんなで日本に帰ってきてからの1カ月間、凱旋打ちまくりの勝ちまくりだったわけだが、5月10日ごろから再び旅に出ることになる。今度は国内、いわゆる旅打ちですね。

 

旅打ち編

ルートは東京を出発して、浜松→岡山→愛媛→福岡→愛媛→神戸。愛媛が2回出てきているのはキーボードの打ち間違いとかではなく2回行ったから。

 

 ちなみにこの下の話は、この旅打ちで福岡に行った時の話で、

 

 この話に出てくるのは愛媛。確か松山のディーボ。

 

旅打ちの期間中の凱旋のことはあまり記憶に残っておらず。 というのも、一番長くいた福岡ではジャグラー中心、その次に長くいた愛媛では牙狼金色ばかり打っていたので、あまり凱旋を触る機会が無かったんですよね。

 

ネオ東京崩壊と次回予告

この時は肌寒くなってきて、冬服がないから旅打ちを切り上げて東京に帰ったはずなので、おそらく4~5カ月間ぐらい出ていたと思うんだけど、帰った時には東京の凱旋の設定6は夏の日差しと共に消え去っており、木枯らしのように設定1がずらっと並んでいる状況であった…のかは覚えてないんだけど、設定狙いで凱旋を打つ頻度はガクンと減った気がする。

  

そのかわり、ハイエナで凱旋を打つ時間が増えた。

 

設定狙いをする人、とりわけピンで動いている人なら分かってくれる人がいるかもしれないんだけど、どうしても設定狙いが難しいタイミングというのがあって、例えば、よく使っている店の傾向が変わったとか、よく通っていた店が潰れたとか、人が少なかったのに有名になって抽選突破が難しくなったとか。

 

そういう時はメインでハイエナをしつつ、新しい店を探したり、既存の店でも再度考え直したりするわけなんだけど、東京に帰った当時もちょうどそんなタイミングで、そのハイエナの際に一番活躍してくれたのが凱旋であった。

 

というわけで、次回の「私と凱旋の5年間戦争」は「激闘!ハイエナ編」。たぶん。

 

なんか今回は自慢話みたいになってしまったけど許してね。たぶん次回はメシウマだと思うので。

 

…つづく(つづかないかもしれない)

 

 

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